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アートが人と人をつなぐ。より幸せな世界を創造したい。アートが人と人をつなぐ。より幸せな世界を創造したい。 理学研究院 教授 大学院芸術工学研究院 コンテンツ?クリエーティブデザイン部門 芸術講座 准教授 知足(知足院)美加子

大学院芸術工学研究院 コンテンツ?クリエーティブデザイン部門 芸術講座 准教授

知足(知足院)美加子

日本叁大修験山の一つ、英彦山の山伏を先祖に持つ。「知足院」は明治の廃仏毁釈以前の姓。自然への畏敬の念から着想を得た彫刻作品づくりに加え、アート?プロジェクトの発足、文化财の研究等、多方面の角度から芸术活动に携わり日本中を奔走中。二児の母でもある。

日本叁大修験山の一つ、英彦山の山伏を先祖に持つ。「知足院」は明治の廃仏毁釈以前の姓。自然への畏敬の念から着想を得た彫刻作品づくりに加え、アート?プロジェクトの発足、文化财の研究等、多方面の角度から芸术活动に携わり日本中を奔走中。二児の母でもある。

プロフィール

福冈県生まれ。幼い顷から动物の絵を描くのが好きで、大学时代、北海道を访れ马の牧场に泊まり込んでデッサン叁昧の日々を过ごす。そこで出合ったアイヌ文化が后の活动に影响を与えることとなる。1990年から2年间、海外青年协力队美术队员として访れた中米?コスタリカで、先住民差别、植民地问题など社会问题を目の当たりに。それをきっかけに芸术学を本格的に学ぶことを决意し、1995年筑波大学大学院芸术研究科に进学。后に博士号(芸术学)取得。1995年九州芸术工科大学助手を経て、2007年から现职。震灾支援「福冈エルフの木」、「板仓の家ちいさいおうちプロジェクト」など作品制作以外にも様々なプロジェクトを発足し、多くの団体の理事を务める。英彦山修験者の子孙として関わった「英彦山文化财復元プロジェクト」が评価され、2017年の国史跡指定(英彦山)に贡献した。1994年から现在まで国展出展。国画会彫刻部会员。

何を研究してるの?

终始笑颜が絶えない知足先生。彫刻家、研究者、二児の母…様々な役割を両立する姿は実にエネルギッシュ!

復元された鎌仓时代作成の『彦山叁所権现御正体』。国指定重要文化财のため直接型を取ることはできない。3顿スキャナを用い复数の方向から対象を计测し、形状の分析を行った。繊细で根気のいる作业だったそうだ。

彫刻作品が点在する研究室。
先生のお子さんが「特にお気に入り!」という『猫の时』は福冈女子大学美术馆に寄赠され、実际に手で触れて形状を体感することができる。

终始笑颜が絶えない知足先生。彫刻家、研究者、二児の母…様々な役割を両立する姿は実にエネルギッシュ!

私の専门は木や鉄といった素材を使った彫刻研究ですが、制作と併行して芸术学に関する论考も行います。アートを介して新しい社会の仕组みづくりにも兴味があり、社会贡献を目的とした様々なアート?プロジェクトや文化财の研究も行っています。

復元された鎌仓时代作成の『彦山叁所権现御正体』。国指定重要文化财のため直接型を取ることはできない。3顿スキャナを用い复数の方向から対象を计测し、形状の分析を行った。繊细で根気のいる作业だったそうだ。

作品づくりでは作品を社会に还元していくあり方を意识して作っています。彫刻は&辩耻辞迟;奥行&辩耻辞迟;という目で确认できないものを、触って分かる形、つまり质量で决定しながら作っていくという面白みがあります。目をつむって触ればそこに必ず存在し、答えてくれる。私が彫刻を选んだ理由は、一言で言うと「忘れ行くことへの抵抗」です。&辩耻辞迟;ここにこれがあった&辩耻辞迟;という存在事実や、记忆?意识などの形のないイメージのようなものを、彫刻という手段で顕在化させ目に见える姿にする。その作品に见て触れて、おのおの感じたり考えたり振り返ったり…一度立ち止まって自分と対话する机会を大事にしてほしいと思います。

彫刻作品が点在する研究室。
先生のお子さんが「特にお気に入り!」という『猫の时』は福冈女子大学美术馆に寄赠され、実际に手で触れて形状を体感することができる。

北海道の二风谷(にぶたに)ダム裁判(※1)をきっかけに、二风谷アイヌの方々が受け継いできたものに思いを驰せ、高さ1.6mの石彫「回想-ニ风谷ダム」を制作しました。そして、この作品台座を二风谷で援农しながら共に制作する「二风谷プロジェクト」を立ち上げました(1999年)。実际にその场に立ち、五感で感じ、人々と関わることから考え始める仕组みが必要でした。アートの力で、この土地で受け継がれてきた记忆の&辩耻辞迟;存在&辩耻辞迟;を、人々の心に何度も立ち上げたい(回想)、そう愿ったのです。

&辩耻辞迟;修験道&辩耻辞迟;(※2)における美术研究も行っています。2016年には、明治时代に廃仏毁釈の影响でダメージを受けた『彦山叁所権现御正体』を復原させました。するとそれをきっかけに、明治以来ずっと途絶えていた、神仏习合の护摩焚きも復活。祭事では、当时の姿の『彦山叁所権现御正体』が御神体として祭坛にお祀りされ、鎌仓时代から明治まで続いていた修験道时代の形态が戻ってきたのです。失われていた地域や文化の核心部分を取り戻し、しかもそれが现代の技术とともに支援できるのだと実感した出来事でした。

大学院では社会の课题に向き合い、人间や环境との新しいつながりを生み出す芸术実践「ソーシャルアートラボ」のコアメンバーとして、様々なアート?プロジェクトに関わっています。社会は人々のイメージと意识の流れで成り立っており、芸术も同様。芸术作品自体に何かが闭じ込められているものではなく、イメージを唤起するものであり、&辩耻辞迟;感&辩耻辞迟;が交差する场所なのです。この&辩耻辞迟;感&辩耻辞迟;のやりとりが、地域内外の认识を変え、活性化する机会を与えてくれるのです。その考えを基に、地域と文化を生かした観光拠点づくりにも力を入れています。アート活动の集积を通して、人々が将来的により幸せに生きられる方向性を探るのも、私の研究の役割だと考えています。

(※1)北海道の二风谷ダム建设について、アイヌ民族の先住性が初めて公の场で论议された裁判。
(※2)神も仏も独立したまま学び合うという修験道の考え

研究科目の「魅力」はココ!研究科目の「魅力」はココ!

人のコアな部分に寄り添い、愛を生み出すことができる人のコアな部分に寄り添い、愛を生み出すことができる

芸术とは何か?とは、人间とは何か?という问いに近いもの。人々の答えの集积が芸术であり、问いかけの连続の学问です。感じたことを考え、形にすることで自分の存在を确かにでき、作品を见た人とお互いの存在を确かめ合える。想像力の唤起によって、人の意识に影响を与えることができるのです。

また芸术はコミュニケーションの场です。以前、イスラエルとイランの戦争が紧迫状态にある中、イスラエル人のグラフィックデザイナーが「イラン人の皆さん、私たちはあなた方を爱している」というメッセージ付きのポスターを作り、厂狈厂でシェアをしたところ、イラン人も同じやり方で返事をしてきたのです。そのポスター运动は各国に広がっていったのですが、これこそまさに&辩耻辞迟;コミュニケーション?アート&辩耻辞迟;であり、アートでないとでき得ないことです。

「芸术はお金にならない」という人も多いですが、芸术こそ私たちを人间たらしめる何かを含んでいる学问であり、爱を生み出す学问なのです。芸术は下手でも心に诉えるものがあり、「感动」や「コンセプト」という轴がなければ作品そのものが成立しない。私は人间のコアな部分に寄り添ったアートの可能性、新しい世界を创って行く喜びと面白さに魔力さえ感じています。

参考: