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地図から覆い隠された都市の歴史を読み取る

Discover the Research Vol.11 人文科学研究院 楊 昱(ヤン ユー)

昔の地図には、町のどんな秘密が隠されているのでしょうか。歴史写真は谁の日常を切り取ってきたのでしょうか。人文科学研究院の杨昱先生は、视覚资料を通じて歴史の表舞台に立つことのなかった市民の人々の物语を掘り起こす研究に取り组んでいます。今回は、美术史のアプローチから新たな歴史の见方について、杨先生にお话を伺いました。

ミクロな视点から歴史を再构筑

先生の研究内容を教えてください。

私の専门は美术史?建筑史で、视覚资料を通じた人、もの、アイデアの交流を研究しています。

现在は1932年以前の満洲(现在の中国东北叁省地域)の都市空间を対象とし、住宅地や商业地など、まだ十分に解明されていない「非公共空间」、いわば?私的空间?を研究しています。美术史、建筑史、歴史学、都市研究など様々な研究方法を用いて、多层的な都市空间の构造を描き出すことを目指しています。

なぜ私的空间に注目されているのでしょうか?

昔の地図について説明している杨先生
昔の地図について説明している杨先生

満洲に関する研究は、官公庁などの「公的」空间に集中しがちです。しかし、これは都市の一つの侧面でしかありません。

二十世纪前半の満洲は、中国、ロシア、日本など、様々な政治や军事势力?社会集団?人が共存していた空间でした。そこで异なる地位や経済力を持ち、様々な生活ニーズを抱える人々がときに竞争し、ときに协力し合いながら、异なる活动领域、いわば多层的な空间を形成しました。このような日常的な「私的空间」こそが、権力関係の交错を育んだ舞台でした。

歴史の表舞台は常に「公的」な记録によって占められていますが、その阴に、一般市民の生きた痕跡が埋もれています。それを探求することで、空间がどのように重なり合い、変化していったのかを明らかにし、より生き生きとした歴史を再现したいと考えています。

どんな资料を手がかりとして使用しますか?

主に视覚资料(写真?絵叶书?建筑平面図など)や地図を扱っています。様々な国から来た人が満洲で共存したため、多数の言语版の地図を比较分析して全体像を把握しています。谁が、どのような立场から、何のために地図を作ったかを読み解くことで、その背后にある意図や力関係を浮き彫りにしようとしています。

視覚資料と共に、 新聞や公文書、そして満洲を訪れた人々の日記などの文献史料も使っています。

美术史学者として、歴史を见るときの特别な视点はありますか?

研究室にある英语文献
研究室にある英语文献

视覚资料は単なる事実の记録ではないと考えているところですね。构図、色彩、光と影などの分析から、一见すると客観的な画像であっても、そこに明确な意図が込められていることが明らかになります。私たちは、视覚资料がいかに积极的に歴史を作っているかを読み取ることができます。

そして、よりミクロな视点から、?普通?の人々の歴史を见ると、町がその过去を语りかけているように感じられます。我々美术史学者は、探侦のように隠された痕跡を集め、より鲜明な都市の记忆を甦らせていくのです。

写真のような瞬间を切り取る资料は忠実に歴史を再现しているのでしょうか?

建物を低い位置から撮ったら、実际より壮大に见せることができますよね。カメラの角度や画面の构図を少し変えるだけで、同じ対象でも异なる印象を与えられます。満洲に関する多くの写真はこのように「荒野に建てられたユートピア」のイメージを作り上げました。

また、満洲観光のために作られた视覚资料は日本に広がりました。人々は自ら満洲を访れることなくても、絵叶书、写真やポスターを通じて「満洲」を「见」て、満洲に対する想像や认识を知らず知らずのうちに形成していったのです。しかし、当时の现地の生活空间はこのような资料にほとんど登场していません。つまり、视覚资料が现実の空间を覆い隠し、その歴史を再构筑したことになったとも言えます。

地図を手に持ち、昔と今を歩く

なぜ地図を研究资料として选びましたか?

実际、纸の地図は今も私の生活に欠かせません。地図を见て、広い世界における自分の位置を把握することで、安心感が得られるからです。

地図は「空间」を客観的で、抽象的に表现しています。しかし、地図を作成する际には「何を描き、何を省略するか」を选ぶ时点で、すでに何らかの意図が含まれています。この客観性と主観性の共存がとても魅力的です。

また面白いことに、一部の地図は「現実」ではなく「理想」を示していました。例えば、日本语の満洲地図と実際の歴史的空間を比べたら、描かれた建物が存在しない例もあります。このような地図は「荒野にユートピアを建設する」宣伝にもなり、植民地支配の正当性を説くことに貢献するものともなりました。

満洲の歴史地図と今の地図では何か违いはありますか?

19世纪末から20世纪初头の満洲の地図は、中国人、ロシア人、そして日本人によって作成されましたが、どれも生活空间を完全に捉えることはできませんでした。その理由として、测量技术の制约もありましたが、大きな要因は认识の限界でした。各国の地図作成者は自らの生活圏を详しく知る一方で、他の地域についてはほとんど知らず、関心も薄いものでした。特に1905年前后は、今日では想像しがたいですが、情报欠如により地図に多くの空白が目立ちます。

また、軍事目的や支配者の目線を反映した、市民の日常生活から離れたものも多くあり、学校や豆腐屋など市井の生活に根差した场所が地図に表示されませんでした。

今の町は、昔の町の影响を受けていますか?

异なる年代の地図や视覚资料を重ね合わせると、空间の连続性が浮かび上がります。例えば、现在の中国?长春の街を歩けば、ロシア风や日本式の建物がありますよね。一度建てられた建物は、新しい所有者が来ても、それを全て壊すことはほとんどなく、用途を変えながら再利用してきたのです。

イタリアの文学者イタロ?カルヴィーノ(Italo Calvino)は、著書『見えない都市』のなかで、都市空間の変遷とその記憶について、「都市の過去は手のひらの皺のように巧みに隠されている」と比喩しています。都市は激動の歴史の流れで姿を変えていきますが、その変化のひとつひとつは小さくても、通りの角や窓枠の飾りといった日常空間に残された痕跡が、今の時代にも影響を与えていることを教えてくれます。

今のマップは生活に密接に结びついているようですね。

確かに現在のデジタルマップは便利ですね!カフェやモールの场所も、最適ルートもすぐ案内してくれます。しかし、今の地図でも、実空間のすべてを伝えられるわけではありません。

例えば、ニューヨークに留学したとき、ハーレム区とアッパー?ウエスト?サイドの境目の近辺に住んでいました。かの有名なセントラルパークのすぐそばにある场所で、地図上からはわかりませんが実際は治安が悪いエリアでした。公園から道一本渡るだけで、雰囲気ががらりと変わり、地元住民の間では「夜の外出を控える」といった暗黙のルールがありました。そんな地図に見えない「境界線」が、実生活ではあちこちにあります。

东京でも福冈でも、下町やおしゃれなエリアなどの违いが感じられるでしょう。地図は物理的な道案内はしてくれますが、その土地の「空気」まで教えてくれません。実际に住み、毎日歩き回ることで初めて、目に见えない地域の个性を感じ、头の中に「自分だけの地図」を描き出すことができるのです。

九州を中心としたアートと歴史の物语を纺ぐ

日本の学术界で初めてゲティ财団基金の助成を获得したと闻きました。

2023年に、人文科学研究院広人文学讲座に所属すると一绪に立ち上げたプロジェクトが、日本の学术机関として初めてゲティ财団の国际プロジェクト助成を获得しました。

「海岸?美术史の共有と分断:『东アジア地中海』地域におけるヒト、モノ、と思想の移动と交流」プロジェクト共同代表者のアントン?シュヴァイツァー教授(左)と楊昱讲师(右)

そのプロジェクトでは、九州を中心に置き、九州周辺の地域とそれに囲まれた海域を「东アジア地中海」として见ています。従来の「国家」の枠组みを超え、九州?釜山?冲縄?台北などといった地域群に着目し、前近代から近代にかけて形成した芸术と思想のダイナミックな交流とそのネットワークを解明しようとしています。

国际シンポジウム?ワークショップ?トラベルゼミなど様々なイベントを开催し、多言语的背景を持つ新鋭研究者たちが活跃し、「东アジア地中海」の歴史?文化交流そしてアートに関する研究を绍介してきました。そこから生まれた斩新なアイデアもまた、数多くの活力に満ちた研究プロジェクトを生み出しています。

地域の声を反映した「アートの地図」を作ろうとしていると伺いました。

はい。従来の地図より、「生きたネットワーク」のような地図を构想しています。九州を东アジアの文化的交差点(丑耻产)と位置づけ、多様な芸术表现と研究をつなぐプラットフォームを创出したいです。

地図はある种「力」の可视化です。かつては支配的な政治権力が一方的に空间を定义し地図を作りましたが、今では、地域间に共有するコミュニティらが自らの文化と记忆を再発见し、それを継承する「地図」を作るべきだと思います。地域间の交流を中心とするネットワークを构筑することから、新たな物语を作れるのではないでしょうか。これによって、もう一つのマクロな歴史を纺ぎ出す力となるでしょう。

世界と自分との対话から自分の「地図」を作る

学生にはどのようなことを意识して指导されていますか?

私は主に修士课程の学生を指导していて、彼ら彼女らを単なる「教え子」ではなく、将来の研究仲间として平等に対话するよう心がけています。学生のアイデアの「闻き手」になることを常に意识し、対话を重ねるうちに、学生たちが自分がやりたい研究を自然と见出してくれることが多いです。

最后に、进路に悩む中高生に向けて何かメッセージをいただけますか?

自分の中にある好奇心を大切にしてください。世界は复雑で、表面に见えているものだけが全てではありません。良い研究にも多様な视点が不可欠で、异なる背景を持つ人たちとの意见交换を通じて、知のネットワークを広げることが、新しいアイデアを生み出すきっかけになるでしょう。

また、正直に自分と向き合うことも大切です。自分が何に兴味を持ち、何を大切に思うのかを知ることが重要です。「自分との対话」を学ぶことは非常に难しく、私自身も苦労していますが、自分に嘘をつかず、様々な人との出会いを重ねる中で、きっと自分なりの「地図」が见えてくるはずです。

杨先生の研究の详细については、をご覧ください。