About 九州大学について
本日、ここに集われている平成15年度学部卒业生の皆さん、御卒業おめでとうございます。九州大学で教育を受け、研究、ゼミを通じて自己研鑽をされ、九州大学の学生としての誇りを持って晴れて社会へ巣立たれる皆さん、あるいは大学院修士課程へ進学される皆さんを前にして、晴れやかな気持ちになっております。皆さんは、九州大学で、授業、ゼミ、研究を通じて何かを成し遂げたという満足感に浸るとともに、学部卒業という大きな節目に到達した自分自身を誇りに思っておられることと思います。本日の卒業は、社会や大学院生活という、自分自身の行動に責任を持つべき未知の世界への輝かしい門出を意味するものです。
九州大学での4年间、皆さんが教育?研究に対して、受け身でなく积极的に行动し、努力した结果として、この卒业式に参列しておられることは间违いのない事実ですが、経済面から精神面まで支えていただいた御家族、あるいは大学で教育と研究を指导していただいた教职员、さらに大学生活で心を通わせた先辈、友人等、皆さんの身の周りの多くの人々の支えがあったことを忘れてはなりません。皆さんは若さがあるが故に、全て自分でできるという自信を持つのはよいことですが、何らかの事情で大学で勉学の机会を持つことができず、既に社会人として汗水流して働きながら、侧面から国立大学の运営を支えてくれた人达の存在も忘れてはなりません。
皆さん、卒业式というこの荘厳な场でもう一度九州大学で何を学び、真に身に付けたものは何かを考えてみてください。大学で学び身に付けてきたことをこれから先、如何に社会に还元し、贡献するかも考えてください。この4年间、大学という教育?研究の现场で学生として、あるいは社会人として学んだことは数知れずあったと信じています。九州大学は皆さんが専门性、社会性、国际性、人间性を身に付けることができる仕掛けを授业、研究、ゼミ、クラブ活动など、様々な场を通じて机能させてきたつもりです。この中から「専门性」について考えてみましょう。
学部4年间で身に付けた専门性とは何でしょう。大学院修了者は社会に出て直接生かすことができる専门的知识と技术を持って修了すべきです。しかし、学部4年间では学部?学科で各々异なる専门性を修得することは勿论ですが、それ以上に、学术的基础知识の蓄积と身の周りで経験する全てに、自分自身の意见を持つという思考プロセスの确立が皆さんに求められていたと思います。独创性や创造性を真に自分のものにするためには、常日顷から身の周りに起きる自然の変化、地域社会の移り変わりや日常的に起こる政治、経済の动向に常に関心を持ち、これらの変化、动向をじっくり観察あるいは考察し、自分独自の意见を持つ训练や习惯が必要です。自分独自の考えの蓄积が各人の独创性となり、独创性の拡がりが创造性へと発展していくものです。また、科学する心には独创性?创造性は勿论ですが、感性や直感も不可欠であり、これらは生まれた时から各自に备わっているのではなく、皆さんが努力して身に付けるものと私は信じています。感性や直感の涵养は自然现象の変化に惊き、感动することから始まります。科学における大発见は论理的考察や研究の积み重ねだけで生まれるものでなく、そこには不连続性と非直线的な论理の飞跃が必要となります。それ故に、科学の进展には感性や直感が不可欠となるのです。アインシュタインは、「知识よりイマジネーションが大切だ、サイエンスに関しては」と言っていますし、カーボンナノチューブを発见した饭岛澄男さんは「确実な技术を身につける。それにより偶然を捕らえる确率を増すこと」と言っています。彼らは、自分の経験から直感や偶然性を捕らえる感性を研くことが科学の飞跃的発展と発见に如何に不可欠かを言っているのです。これから先、皆さんがどのような职业に就かれるにしても、自分自身の感性や直感を身に付ける训练を怠ってはいけませんし、それを独创性?创造性に结びつける努力をしてください。
次に、皆さんに2つの事をお话したいと思います。1つは「人生の目标?目的あるいは梦」、もう1つは「和?平和あるいは人间爱」についてです。
これまでの人生で皆さんは多くの梦を见、それを人生の目标?目的として実现してきたことと思います。これから皆さんは、社会人として人生の目标?目的を持ち、それに向かって努力することが梦の実现となり、その人の人生観あるいは人间観を形成していくことになります。学生时代は梦としての目标に向かって无我梦中に突っ走れば良いのですが、社会人となった今、皆さんは目标?目的の実现に向かって一歩一歩着実に、検証と吟味を行ないながら梦を実现していく义务があります。明确な人生の目标?目的がなくして梦の実现もありませんし、崇高な意识と贪欲な行动なしには梦は実现しません。また、目标や梦は、现在の自分の実力で実现可能かな、と少々不安になるくらいの高いレベルに设定してください。目标を高くし、それに向かって努力しないかあるいはリスクの伴わない人生では、満足感や达成感は味わえません。「人并みの努力は人并みに终わる」ということを理解してほしいのです。人は是非そうありたいと愿っていれば必ずその目标や梦を実现できるものです。
次に「平和即ち和と人间爱」について考えてみましょう。2001年9月11日のニューヨークでの同时多発テロ以后、世界で展开されている政治、军事、経済行為と行动に関して、现在程「和と人间爱」について问われている时はありません。「和?平和と人间爱」については、确かに欧米とアジア、特に欧米と日本との间でかなりその考え方、受けとめ方やその评価の仕方が异なります。その差は、民族の构成、気候?风土、宗教観などから生じたと思われますが、「和」に対する人间としての愿いは、世界中変わることはありません。日本での「和」の思想の起源は、倭国という文字からきた大和であり、圣徳太子の定めた十七条の宪法の第一条の「人の和を大切にしなさい」、即ち「和を以って尊しとなす」であると思います。圣徳太子の「和」の主张は、个人主义を捨て、ただ大势の中で个人が埋没して秩序を乱さないようにするという消极的な民主主义とは全く异なるものだと、私は受けとめています。「イラクには大量破壊兵器があり危険な国」という理由で始まったイラク戦争についても、世界の国々が1国のユニラテラリズムに引摺られるのではなく、国连という世界统治の唯一の机関にその解决法を任せられなかったのかどうかということを考える必要があります。现代の「和」とは、国民が乱れなく付和雷同的に行动することではなく、国民が个人の考えを主张し、政治主导でなく最终的に国民総意として结论を导くことです。そして皆さんのような若い人达こそが、その原动力となるべきです。世界中で生じている政治、军事、経済问题に対する最近の若い人达の无関心には、私は少々失望と抵抗を感じています。日本政府の判断と行动、すなわち日本という国の立场を、世界に対する责任と贡献という観点から捕らえることと、日本国民が「和」や「人间爱」から世界を见る视点は、自ずと异なることがあります。しかし、私达个人の意见と意思を结集して、现在世界で行われている政治的、军事的行為に日本国民として意见を主张することは、「和」と「人间爱」を理解できる人间としての当然の行為と私は信じています。
最后に、国立大学の法人化についてお话します。本年4月以降、九州大学は国立大学法人九州大学に名称が変わります。法人化により大学の运営?経営法、财务?会计制度、人事制度等が変わり、大学活动の根干である教育、研究、社会贡献、国际贡献にも各大学の个性辉く特色?特徴を出すことが要请されています。
九州大学でも、これら法人化の基本理念を具体化することにより、世界レベルの教育研究の中核的拠点を构筑することが求められています。九州大学の活动の重点4分野(教育、研究、社会贡献、国际贡献)で、他大学と比较して特徴のある活动と顕着な成果を出し、大学の活动、成果のピークを社会に対して分り易く目に见える形で情报発信することが、教育研究の世界的拠点大学として九州大学が生き残るための唯一の道です。チャールズ?ダーウィンは「最も强い者が生き残るのではなく、最も贤い者が生き延びるのでもなく、唯一生き残るのは変化に対応できる者である」と言っています。进化论の内容を言った言叶ですが、国立大学法人化でも同様の事が言えると思います。教职员は一丸となって、法人化の理念を実现すべき大学作りに努力することを皆さんにお约束するとともに、社会に巣立たれる、あるいは大学院で勉学を続けられる皆さんに九州大学への限りない支援をお愿いいたします。
「和?平和」あるいは「人间爱」の理解できる社会人として活跃されることを愿って、告辞と致します。
「和と人间爱を理解できる人间に」
平成16年3月25日
九州大学総长 梶山 千里